2022年12月7日(水)に実施いたしましたオンラインシンポジウム「『Beyond COVID-19 toward 2030』ひがし北海道SUSTAINABLESustainableによる地域観光体制を考えるシンポジウム」内の(一社)ひがし北海道自然美への道DMO・専務理事・野竹鉄蔵による講演「ひがし北海道における各地域のサスティナブルとDMO」の内容を記事化したものです。
まずは「サステナブル(持続可能)な観光」の定義について
「サステナブル(持続可能)な観光」という言葉がありますが、まずその定義について。UNWTO(国連世界観光機関)では「持続可能な観光」は、「現在および将来の経済、社会、環境影響を充分に考慮し、旅行者、業界、環境、受入コミュニティーのニーズに対応する観光」と定義しています。
似たようなものとして「SDGs」や「カーボンニュートラル」という言葉もありますが、ひがし北海道では、それらを包含する意味で「サステナブル」という言葉をメインに使用していきます。
ひがし北海道元来の持続的地域づくりの経緯① 〜阿寒湖100年前からのSDGs
「前田一歩園」の設立者・前田正名が阿寒湖の森林を所有したのが明治39(1906)年。前田正名は「この山は伐る山から観る山にすべきである」としました。明治の末から伐採されたものを逆にもう原生的な森に復元する「復元の森」という動きになっていきます。財団には4つ事業があるですが、そのなかでいうと「森林保全事業」にあたります。

(写真:阿寒湖畔展望台から阿寒湖や雄阿寒岳を望む(ドローン使用))
阿寒湖自体の面積よりも大きい、財団が管理する阿寒湖周辺の森を象徴するのが「光の森」です。この森は一般の方は入れず、森の案内人という資格保有者だけが入ることができる場所です。ひがし北海道の各種アクティビティを提供している「TSURUGA アドベンチャーベース SIRI」で、希少価値の高い商品として販売されています。
阿寒湖自体の面積よりも大きい、財団が管理する阿寒湖周辺の森を象徴するのが「光の森」です。この森は一般の方は入れず、森の案内人という資格保有者だけが入ることができる場所です。ひがし北海道の各種アクティビティを提供している「TSURUGA アドベンチャーベース SIRI」で、希少価値の高い商品として販売されています。

(写真:こちらは一般の方も自由に歩くことができるボッケ遊歩道)
ポイントとしては、前田一歩園が 切った森の復元をしたこと、その美しい森を 限られた人に見せていること、さらにそこで得られた利益を環境維持にあて、循環させていることにあります。そして、この動きは森の見学参加者にサステナブルそのものの価値を啓蒙し続けています。
ポイントとしては、前田一歩園が 切った森の復元をしたこと、その美しい森を 限られた人に見せていること、さらにそこで得られた利益を環境維持にあて、循環させていることにあります。そして、この動きは森の見学参加者にサステナブルそのものの価値を啓蒙し続けています。
ひがし北海道元来の持続的地域づくりの経緯② 〜しれとこ100平方メートル運動
「しれとこ100平方メートル運動」は44年前からのナショナルトラスト運動になります。大正3(1914)年より知床では開拓がはじまりましたが、昭和40(1965)年には開拓者の離農と不動産業者による離農跡地の買取など、開発の波が押し寄せました。

(写真:「しれとこ100平方メートル運動」区画の一部にもなっているフレペの滝遊歩道)
その乱開発の危機を土地をもう一度買い取りをして、それをしっかり原生の森に復元するという流れが動き出します。この呼びかけは昭和52(1977)年からスタートして、現在はもう保全エリアが100%になり、平成9(1997)年からは森を育てるという展開で進んでいます。現在は「しれとこ100平方メートル運動」の第2次中期計画・第5次回帰作業が行われています。
その乱開発の危機を土地をもう一度買い取りをして、それをしっかり原生の森に復元するという流れが動き出します。この呼びかけは昭和52(1977)年からスタートして、現在はもう保全エリアが100%になり、平成9(1997)年からは森を育てるという展開で進んでいます。現在は「しれとこ100平方メートル運動」の第2次中期計画・第5次回帰作業が行われています。

(写真:知床自然センター近くにある「しれとこ100平方メートル運動ハウス」)
知床での事例は、 阿寒湖よりスタート数十年遅いものの、やっていることは機しくも同じ主旨になります。 森と開拓地とだけの違いで、復元を目指した動きは同じです。開墾地から森に戻った地域は、世界遺産としてのステータスにつながるという結果を導いており、サステナブルを価値化したとも言えます。
知床での事例は、 阿寒湖よりスタート数十年遅いものの、やっていることは機しくも同じ主旨になります。 森と開拓地とだけの違いで、復元を目指した動きは同じです。開墾地から森に戻った地域は、世界遺産としてのステータスにつながるという結果を導いており、サステナブルを価値化したとも言えます。
ひがし北海道のサステナブルな観光・各地の動き① 〜ゼロカーボンと持続可能な地域と観光シンポジウム
2022年10月29日、阿寒湖で「ゼロカーボンと持続可能な地域と観光シンポジウム」が開催されました。北海道としてのスタンスが発表されたシンポジウムでした。このなかで「ゼロカーボンと持続可能な地域と観光に関する宣言」が発表されました。ポイントとしては、①「コロナ後のリセット→文化体験/多様ニーズ=高付加価値化」、②「持続可能な地域づくり→自然と調和したアイヌ文化・循環社会へ」、③「在住外国人→ホスト・ゲスト両面での共生を目指した環境づくり」の3つがあります。
ポイントとしては、観光庁も加わったサステナブル宣言をパリやジュネーブ、京都ではなく、実際にサステナブルを実践している地域で行ったこと、宣言内容で3つめの(在留)外国人との共生 についてはとくに全世界に先駆けてグローバルな観光政策の視野にたった内容で、今後の日本の観光施策において人手不足と外国人就労を単なる頭数合わせではなく、ホストとしての位置づけによる力に替えていかなくてはいけない宿命をどこよりも早く今後課題が深刻となるローカルな現場から発信したことなどがあげられ、それはサステナブルの根幹でもあると言えます。
ひがし北海道のサステナブルな観光・各地の動き② 〜持続可能な観光地域づくり・てしかがえこまち推進協議会
「てしかがえこまち推進協議会」は、観光カリスマの山田慶一郎さんが中心になって、平成20(2008)年に発足しました。協議会の取り組みのひとつとして「エコツアー」を取り上げます。協議会では「てしかがスタイルのエコツーリズム推進全体構想」を策定し、平成28(2016)年11月には北海道で初めての全体構想認定地域になりました。
構想が進むなか、令和2(2020)年には「アトサヌプリ(硫黄山)トレッキングツアー」を開発、販売が開始されました。この事業は、硫黄山(アトサヌプリ)を立入制限区域に指定し、制限区域に立入ることのできる認定ガイド制度を創設、ツアー参加費の一部を自然保護に充当する仕組みを整備しました。
構想が進むなか、令和2(2020)年には「アトサヌプリ(硫黄山)トレッキングツアー」を開発、販売が開始されました。この事業は、硫黄山(アトサヌプリ)を立入制限区域に指定し、制限区域に立入ることのできる認定ガイド制度を創設、ツアー参加費の一部を自然保護に充当する仕組みを整備しました。

(写真:アトサヌプリ(硫黄山))
ひがし北海道のサステナブルな観光・各地の動き③ 〜阿寒観光協会・まりも倶楽部
「阿寒観光協会・まりも倶楽部」は、まちづくりを女性の観点から考える集まりで、結成以来20年近く活動しています。その組織では「Welcome 阿寒湖一年生」という取り組みを実施しています。阿寒湖に新しく移住・転入される観光就業者やホテル観光関係に就労する外国人従業員を対象とし、登録証明書とスタンプラリー権を付与。配布されるMAPやクーポン券を生かして阿寒を体験してまちの資源を認識、住民や関係者とのやり取りから地域を知りそして学ぶ、よそ者としての体験をSNSなどで発信も期待、オンオフ問わずホストとしての意識を持つことなどを目的としています。

(写真:阿寒湖)
上記の弟子屈や阿寒湖での事例では、観光客相手だけでなく、『住んでよし』の純粋なホストとして自分たち主体として動くことを第一義としてとらえつつも、そのことこそが ゲストのホスピタリティある受け入れにつなげた観光政策であるという点がポイントです。
上記の弟子屈や阿寒湖での事例では、観光客相手だけでなく、『住んでよし』の純粋なホストとして自分たち主体として動くことを第一義としてとらえつつも、そのことこそが ゲストのホスピタリティある受け入れにつなげた観光政策であるという点がポイントです。
今回の記事では「サステナブル(持続可能)な観光」という言葉の定義について、そしてこの言葉が生まれる前にすでにひがし北海道で実施されてきた取り組み、現在の行政政策、持続可能な観光地域づくりについてまとめました。
次回の記事では近年動きが活発になっている、ひがし北海道のサステナブル(持続可能)な観光の動き・事例について紹介していきます。
次回の記事では近年動きが活発になっている、ひがし北海道のサステナブル(持続可能)な観光の動き・事例について紹介していきます。